政  治
政府見解
国内政治の動き
往来と交流
人事任免事項
  経  済
産業経済動向
政策情報
地方経済
中国進出日本企業
視  点
  生態環境
砂漠化対策
治  水
造  林
汚染処理
その他
  文  化
文化情報
食文化
考古学
健  康
  時 の 人
  社   会
  論   壇
  観   光
  友好の広場
検索
天気予報:
四川省遂寧市で日本の「寛永通宝」が1枚出土・古銭は12万枚以上

四川省遂寧市安居区の玉豊鎮中心小学校内で先ごろ、グランドの拡張工事の際に土中に青緑がかった古銭が大量に散在しているのが見つかった。

集めた古銭は鎮政府が保管し、出土現場も保護措置が講じられた。遂寧市博物館文物管理部は発掘を継続することを決め、最終的に方孔の銅銭が12万5538枚出土した。総重量は504.5キログラム。

同市博物館の何瀛中館長は「これほど大量の古銭が出土したのは、市制が敷かれて以来初めてだ。とくに4つの王朝の銭貨が同時に見つかったのは、全省でも珍しい」と興奮を隠さない。唐代(618~907年)の開元通宝、宋代(960~1279年)の元豊通宝に天聖通宝ほか、明(1368~1644年)清(1616~1911年)時代の銭貨が大量に発見された。

さらに何館長は「日本の江戸時代に鋳造された代表的な銭貨、『寛永通宝』が1枚見つかった。こんな古い銭貨がどうして遂寧市にやって来たのか、考証をまたなければならない」と話している。「寛永通宝」はデザインや形、文字にせよ、見たところ普通の中国の古銭と区別がつかないほど似ている。何館長は「漢代(紀元前206~紀元220年)や唐代の国力は極めて強大で、この時代に中国文明が海外に伝わっていった。当時、中国の銭貨は日本や朝鮮、ベトナム、今のミャンマーなどで幅広く流通して使用されており、次々に中国の貨幣を真似て自国の貨幣を鋳造するようになった。この『寛永通宝』は明代末から清代初めにかけて中国に流入した可能性がある」と分析する。

周辺に住む老人の証言によると、学校の現在位置にかつて上辰寺と呼ばれる古い寺院があった。また地上からわずか1メートルの地点で見つかり、銅銭をつないでいたと思われる縄が残っていたことから、考古学者は発見場所に上辰寺の秘密の銭庫があった可能性が極めて高い、と推測している。

「チャイナネット」2004/07/30

DATE:
このページを印刷
メールで送る
|
Copyright © China Internet Information Center. All Rights Reserved
E-mail: webmaster@china.org.cn Tel: 86-10-68326688