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4000年前のコムギの伝来が中国北部の農業革命をもたらす

中国の学者たちは「中華文明のルーツを探るプロジェクト」の第一段階の研究活動で、「西アジアを起源とするコムギが4500年前に中国の中央部地域に伝来したたことは、中国の北部で根本的な農業革命を引き起こすきっかけとなり、この地域がそれ以後の長い間に中国の政治、文化ひいては経済の中心となるための確固たる基盤を打ち固めた」という結論を引き出した。

同プロジェクト第一段階のリーダー格の中国社会科学院考古研究所の王巍所長によると、この地域の農耕生産の特徴と発展は、現在実施されている「中華文明のルーツを探るプロジェクト」の主な研究課題であり、陶寺、新砦、二里頭、王城崗など4ヵ所の遺跡から発掘された数万粒の炭化したさまざまな種類の植物のタネなど貴重な植物遺物に対する測定や数量化分析を通じて、「紀元前2500年から紀元前1500年にかけての時期に、この地域の農耕生産はアワを主な農作物としていた」ことが明らかになった。つまり、中国北部では伝統的な畑作農業が行われていたということである。

紀元前2500年から紀元前2000年までの竜山時代に、この地域においてはアワの栽培だけでなく、イネもは重要な農産物となっている。二里頭時代に、イネの作付け規模や人々の生活における地位はこれまでなく重要なものとなっていた。また、西アジアを起源とするコムギがこの地域に伝来し、中国の商代(紀元前16世紀-紀元前1066年)の初期の二里崗期において、イネの地位はいくらか低下し、コムギの作付け規模が急きょ大幅に向上した。この地域の農業生産におけるコムギの台頭は、中国北部の畑作農業の作付け制度の根本的な変革を告げるものと言える。

コムギは優れた畑作食糧作物であり、この地域への伝来は同地域における在来のメーンの食糧作物であったアワとイネに対し、大きな衝撃となった。同地域の作付け制度もアワのみに頼るものから、コムギを主体となることになったわけである。

中国北部の全域から見れば、コムギがアワにとって変わり、主な食糧作物になったことは農業分野の革命と見られた。コムギは生産量の多い農作物であるので、大規模のコムギ作付けは中国の北部地域の土地の生産量を大幅に引き上げ、これにより、黄河の中・下流地域を中心とする中国北部の畑作農業地域は、長江の中・下流地域に代表される南部の稲作農業地域に匹敵しうる生産能力と経済力を保有することになった。これは、この地域が長い間中国の政治、文化ひいては経済の中心となった原因の一つとも言えよう。

王巍氏は「社会と経済の発展は国家の出現や文明社会の形成を促す重要な契機である。中華文明が現れた時代に、つまり、紀元前2500年から紀元前1500年にかけての期間に、農業は物質生産を担う最も重要かつ根本的な存在であった。われわれの研究によると、中華文明が形成した肝心な時期、つまり、竜山時代から二里頭文化へ移行する期間に、この地域の古代農業生産には目覚しい変化と飛躍的な発展が見られる」と語っている。

「チャイナネット」 2006年9月19日

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