月を詠じる詩
古人の筆に形容される月は、いつも光明、純潔、美の象徴であり、多くの月を詠じた感動深い詩や文章が残されている。中国最初の詩集『詩経』をひもどいてみると、明月と美女を詠じた『月の出』がある。

 月出皎兮  月出でて皎たり

 佼人僚兮  佼人僚たり

 舒窈糾兮  舒にして窈糾たり

 労心悄兮  労心悄たり

佼は姣のことで美しい。僚は嫽のことでなまめかしく、奇麗なありさま。窈糾は身体の曲線が柔らかい様子。すなわち「月が出た、皓こうとし明るい。あの美人はなんと美しいのだろう。なんとしっとりとして、いい身体つきをしているのだろう。愛らしいけれども手に入れることはできない、私の心は悄然として愁いに満ちている」という大意である。

月を詠じた千古の絶唱は、宋の詩人蘇軾の詞『水調歌頭』であろう。

 明月幾時有   明月 幾時より有るや

 把酒問青天   酒を把って 青天に問う

 不知天上宮闕  不知ず 天上の宮闕

 今夕是何年   今夕 是れ何の年ぞ

 我欲乗風帰去  我れ 風に乗って去かんと欲す

 又恐瓊楼玉宇  又恐れる 瓊楼玉宇

 高処不勝寒   高き処は 寒に勝えざらんことを

 起舞弄清影   起ちて舞い 清き影と弄る

 何似在人間   何ぞ似ばん 人間に在るに

 轉朱閣     朱閣に転じ

 低綺戸     綺戸に低れ

 照無眠     無眠を照らす

 不応有恨    応に恨有るべからざるに

 何事長向別時圓 何事ぞ 長えに別時に向いて円なり

 人有悲歓離合  人には 悲歓離合あり

 月有陰晴圓缼  月には 陰晴円欠あり

 此事古難全   此事 古より全う難し

 但願人長久   但だ願わくは 人長久に

 千里共嬋娟   千里 嬋娟を共にせんことを

(大意――明月はいつから出ているのだろうか? 酒杯をあげて天に尋ねたい。天上の宮殿では今年は何年なのだろうか? 風に乗って天上に行って見たいものだ。だが天上の大理石や玉の御殿はあんなにも高いのだから、寒くてとても私には堪えられないだろう。月の下で踊れば影が私について踊る下界の楽しみを天上ではどうして味わうことができようか。月光は美しい閣楼をあまねく照らし、彫刻のある窓から部屋の中までさしこんできて、眠れない私を照らしている。月が丸いのは恨むべきではないが、なぜ人々が離ればなれになって孤独でいる時に、まん丸くなって団らんを象徴してみせるのだろう。人間には悲しみ、喜び、別れ、めぐりあいなどがあり、月にはくもった時、晴れた時、欠ける時、丸い時などがある。これは昔からのことで、完全無欠な事はこの世にはないのだ。それは又それとして、私たちはいつまでも無事でいて、千里も離れていてもこの夕べの美しい月をいっしょに賞でようではないか)

唐の詩人の明月に寄せて故郷を思い肉親をしのぶ情を詠じた詩は、数えきれないほどたくさんある。たとえば、次のような詩がある。

 挙頭望明月   頭を挙げて明月を望み

 低頭思故郷   頭を低れて故郷を思う  (李白)

 露従今夜白   露は今夜より白く

 月自故郷明   月は自ら故郷のが明るし (杜甫)

 海上生明月   海上に明月生じ

 天涯共此時   天涯此の時を共にす   (張九齢)

 今夜月明人尽望 今夜月明人尽く望むも

 不知秋思在誰家 知らず秋思誰が家にか在る (王建)

 
 

 

 

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