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北京

 

北京 北京は中華人民共和国の首都であり、略称は「京」。華北平原の西北端に位置する。初めは「薊」と称し、春秋(前770−前476)戦国(前475―前221)時代には燕の都、遼(970−1125)代には第2の首都として「燕京」と称された。金(1115−1234)、元(1206−1368)、明(1368−1644)、清(1644−1911)代から民国初期まで首都として、「中都」「大都」「北平」「北京」などと呼ばれた。1928年以降に市となった。現在は16の区と2つの県を管轄する中央の直轄市である。全市の面積は1万6800平方キロ。全市の常住人口(居住半年以上の人口)は1423万2000人で、公安機関の統計によれば、2002年末の全市の戸籍人口は1136万3000人である。

北京市は中国の政治の中心、文化や科学、教育の中心でもあり、交通の要衝でもある。北京には内外に名を馳せている観光地として、故宮や天壇、万里の長城、明の十三陵、頤和園、香山などの名所旧跡がある。

 

上海


 

上海 略称は「滬」。東部沿海の中段に位置し、長江の河口にある。古くは海辺の漁村だったが、春秋時代に呉国の地に、戦国時代には楚国の春申君の領地に、宋代(960−1279)に鎮が設置されて「上海」と呼ばれるようになり、1927年に市となった。現在は4大直轄市の一つで、18の区、一つの県を管轄している。全市の面積は5800平方キロ、2002年末の戸籍人口は1334万7000人である。

上海は中国最大の都市、また世界の大都市の一つである。また中国最大の工業都市、商業と金融の中心であり、科学技術基地でもある。

 

天津


 

天津 略称は「津」。華北平原の北東部に位置し、海河の5本の支流がここで合流して渤海に流れ込んでいる。金、元代には「直沽」と称され、食糧輸送の要地となる。のちに海津鎮が設置され、明代初めに「天子の渡し場」という意味を撮って「天津」と呼ばれるようになり、軍の駐屯地となった。清代には天津府の所在地となり、1928年に市となった。現在は15の区と3つの県を管轄しており、中央直轄市である。全市の面積は1万1000余平方キロ、2002年末の常住人口は1007万1800人(戸籍人口は919万500人)である。

天津は、華北最大の工業都市であり、石油と天然ガス、海塩資源が豊かで、一定の工業基盤を備えている。天津はまた華北で重要な商業の中心、通商都市でもある。天津の名所旧跡には市区の寧園、天后宮、大沽口砲台、薊県の独楽寺、黄崖関の古代長城、「北京以東随一の山」と言われる盤山風景区などがある。

 

重慶


 

重慶 略称は「渝」。西南地区の東部、長江上流に位置する。春秋戦国時代には巴国の地となり、隋、唐代には渝州に属した。抗日戦争時期には国民党政府の第2の首都となった。1997年、従来の四川省の重慶、万県、ふ陵の3つの地区クラスの市と黔江地区行政区域が合体して中央直轄市――重慶市が誕生した。15の区と4つの県クラスの市、17の県、4つの自治県を管轄している。全市の面積は8万2300平方キロ、2002年末の全市の総人口は3107万人で、うち農村人口は1976万500人、都市部人口は1130万9500人である。

重慶は北、東、南の三方は大巴山、巫山、大ろ山に囲まれ、長江が同市を貫流し、山を削り取って有名な長江三峡が形成された。年間降雨量は1000ミリ以上に達し、冬と春に霧が多いことから「霧の都」と呼ばれている。林・鉱業資源が豊富で、漢方薬材は一千種類を数える。オオアブラギリや漆樹などの特産を有しているほか、中華チョウザメ、メタセコイアなどの稀少動植物も生息している。重慶は総合工業都市である。また枇杷山や縉雲山、河川をめぐる観光名所もある。