山西省・介休錦山のふもとにある小さな古城「張壁古堡」がこのほど一般観光客に公開された。
「張壁古堡」は、面積12万平方メートルで、古代の建築様式を残した城堡としては、国内で最も保存状態が良く、当時の機能が良く残されている。隋末期にあたる619年、唐の太宗・李世民に抵抗した劉武周(定揚可汗)が築城した。城内では、夏(紀元前21~前16世紀ごろ)や商(殷:前16世紀ごろ~前1046年)の時代の遺跡や宋金時代(960~1234年)の陵墓群、元時代(1279~1368年)の帝王の廟、明時代(1368~1644年)の琉璃碑などが見つかっている。楼閣や鐘楼(鐘つき櫓)、鼓楼(太鼓櫓)、舞台などさまざまな建築物が現存し、古い街並みや店舗、廟などともに伝統的なたたずまいが残されている。
中でも特徴的なのは、総延長6千メートルに及ぶ立体構造の古代軍用地下道だ。将軍の部屋や兵士の詰め所などの施設が設けられ、地下道は城内の至る所に通じる。「保護・攻撃・防御・退却・潜伏・逃亡」のすべてに活用できる軍事要塞だ。地下道は幾層にも別れ、迷宮のように張り巡らされており、さまざまな仕掛けを施した攻めにくい構造になっている。軍事科学院の専門家は、「古城は世界一級といえる素晴らしい軍事的価値がある。中国の軍事史や古代軍事科学の生きた教材だ」と評価する。
「人民網日本語版」2004年5月5日